「ちっちゃな王子さま」(新訳:星の王子さま)メルマガ配信プロジェクト

「星の王子さま」の邦題で知られる、Antoine de Saint-Exuperyの名作、"Le Petit Prince"を、独自に翻訳した「ちっちゃな王子さま」を、毎週少しずつお送りする、メールマガジンプロジェクト。是非登録を!

7

 五日目。
 ちっちゃな王子さまのくらしの中のひみつがひとつ、これまたヒツジのおかげで、明らかになった。彼は、なんの前置きもなしに、いきなりぼくにひとつの質問をしたんだ。それは、彼が長いことだまって考えてきたことだった。
「ヒツジが、小さな木を食べるってことはさ、花も食べちゃうの?」
「見つけたものならなんだって食べちまうよ」
「トゲのある花でも?」
「ああ。トゲのある花でも、だよ」
「だったらトゲはさ、トゲは、いったいなんのためにあるの?」
 ぼくはそんなことは知りやしなかった。ちょうどそのときは、かたくしまりすぎたエンジンのボルトを外そうといっぱいいっぱいだったんだ。もしかしたらこの故障がひどく深刻なものなんじゃないかと思いはじめていたころでもあり、今にも底をつきそうな飲み水は、ぼくに最悪の事態を想像させてもいた。
「ねぇ、トゲは、なんのためにあるの?」
 ちっちゃな王子さまは、一度はじめた質問を絶対にあきらめない。ぼくはボルトのせいでいらいらしていたから、でたらめに言ってやったんだ。
「トゲなんてのは、なんのためにもなりゃしないよ。あんなのはただの、花の嫌がらせだよ!」
「ええっ!」
 少しだまりこんだあと、彼はぼくにうらみがましい視線を向けてきた。
「なんてこと言うんだよ、信じらんない! 花たちってのはかよわいんだよ。すごくすごくせんさいなんだ。彼女たちはきっと、できるかぎり安心したいと思ってるにちがいないんだ。自分たちのトゲのことでさえ、おそろしく思っているんだ……」
 ぼくは返事をしなかった。ちょうどその瞬間は、(もしこのボルトがまだ外れないようなら、かなづちで一発ぶんなぐってやるぞ!)なんてことを考えていたところだったからだ。するとちっちゃな王子さまは、またしてもぼくの考えをさえぎった。
「なのに君はさ、君はそんなふうに考えるっていうの? 花たちが……」
「あーちがうちがう! なんにも考えちゃいないよ! ぼくは、今いそがしいんだよ。もっとずっと重要なことで、頭がいっぱいなんだよ!」
 彼は、あきれた顔でぼくを見つめたんだ。
「ずっと重要なこと、だって?!」
 彼が見たのは、ハンマーを手にして、指を油でよごし、彼にとってはひどくみにくく見える物体の上にかがみこんでいるぼくのすがただった。
「君の話し方って、まるで大人たちみたいなんだね!」
 その言葉にぼくは、少しはずかしいきもちになった。だけど彼は、手厳しくもさらに、こうつづけたんだ。
「君はなにもかもまちがえてる……ぜんぶごちゃごちゃにしてるんだ!」
 彼は、本当に怒っていた。黄金色の彼の髪が、ゴウッと逆立つくらいに。
「ボクの知っている星にね、『赤男』ってよばれてる人がいた。その人ときたら、花の香りをかいだことも、星をながめたことも、だれかを愛したこともなかった。『足し算』以外は、なにひとつしたことがなかったんだ。それで毎日毎日、君みたいに『ああ、私は真面目な人間だ! 私は真面目な人間だ!』ってくり返しては、いばりちらしていたんだよ。あんなのはね、人間じゃない。あんなのは、キノコだよ!」
「なんだって……?」
「キノコ!!」
 ちっちゃな王子さまは今や、怒りのあまり真っ青になっていた。
「何百万年も前から、花たちはトゲを生やしてる。そしてやっぱり何百万年も前から、ヒツジは花を食べてるんだ。なのに、花たちがたいへんな思いをしてまでなんの役にも立たないトゲを生やしつづけているのがなぜか、ってことを知ろうとすることが重要なことじゃない、って? ヒツジと花の戦いなんてのはたいせつなことじゃないって言うの? 太っちょ赤男の足し算なんかよりも重要で、たいせつなことではないって、君はそう思うの? もしもボクが、ボクがね、世界中でたったひとつだけしかない花のことを知ってたとする。それは、ボクの星以外のどこにもないものなんだ。それがもしかしたら、ある朝ボクが気づかないうちに、ちっちゃなヒツジ一匹にあっという間に全滅させられちゃうかもしれないってのに、それが、そのことが、たいせつなことじゃないって?!」
 彼は、真っ赤になってこうつづけた。
「だれかが、何百万の星の中にある何百万の花たちのうちの、たったひとつだけの花を愛していたとすると、彼はその何百万もの星を見つめるだけでしあわせを感じられるんだ。彼はこう思う。『ああ、このどこかに、私の花があるんだ……』って。だけど、もしヒツジが、その花を食べちゃったとしたら、それは彼にとって、突然、全部の星がパッと消えちゃったみたいなものなんだよ! それでもそれが、たいせつじゃないって?!」
 もうそれ以上はなにも言えなかった。はれつするように、急にワーッと泣き出しちゃったからだ。
 いつの間にか、夜があたりをつつんでいた。
 ぼくは、手にもっていた工具を放りすててしまった。ハンマーもボルトも、のどのかわきも、死ぬことさえも、どうでもよかった。ここに、この星に、ぼくの故郷である地球の上に――ちっちゃな王子さまをなぐさめるということ、ただそれだけがあった。
 ぼくは両腕で、彼をつつみこんだ。それから、ゆっくりと揺らしてやる。ぼくは彼に語りかけた。
「大丈夫、君が愛している花は、大丈夫だよ……ぼくが君のヒツジに、口輪を描いてあげるから……それから、君の花にはおおいも描いてあげよう……それから、ぼくが……ぼくが……」
 ぼくはもう、なにを言えばいいのかわからなかった。自分がひどくもどかしかった。どうしたら彼の想いにたどりつけるのか、よりそうことができるのかがわからなかったんだ……。涙の世界は本当に、神秘的なものなんだ。